24年能登地震で避難したときに「失敗した」と思ったこと(2)
皆さん、こんばんは。
前回から、能登地震で避難したときに、「こうしておけば」という反省を書いています。
2つ目は、「避難所の寒さを甘く見た」です。
僕たち家族が避難したのは小学校の体育館でした。
移動中は暖房のきいた車内にいたので気になりませんでしたが、避難所に到着してしばらくすると、寒さを感じるようになりました。
毛布の支給はありましたが、硬くて温まりにくいものでした。
我が家は小さい子供もいて、非常に苦労しました。
周りを見渡してみると、防寒シート(アルミコーティングされた保温性の高いシート)に包まっている人もおり、準備不足を痛感しました。
冬に避難することを想定して、防寒グッズをしっかり準備しておきましょう。
2つ目は、以上です。
お読みいただき、ありがとうございました。
24年能登地震で避難したときに「失敗した」と思ったこと(1)
皆さんこんにちは。
24年1月1日の能登地震で避難した際に「これは失敗だったな」と感じることが多々ありましたので、一つずつ書いていこうと思います。
思いつくだけ書いていくので、何記事分になるかはわかりません。
ですが、この記事を読んでいただいた方に、すこしでも参考になれば幸いです。
それでは、順に紹介していきましょう。
1つ目は、「避難するときの持ち物がわからなかった」です。
僕たち家族の住んでいる地域は津波警報対象地域でした。
NHKアナウンサーから呼びかけられる鬼気迫る避難指示に背中を押され、
最初の地震発生から20分後には自宅から避難所へ向けて出発しました。
20分で出発しましたが、準備はバタバタでした。
- 防災用品は準備していたが、バッグに入っていない
- 子供用品で必要なものがリストアップされていない
- 水が足らないといううろ覚え知識で、備蓄2Lペットボトルx6本の箱を持ち出す
とにかく、避難するための準備が全くと言っていいほど出来ていませんでした。
避難所から戻ってきて、さっそくあちこち調べて、防災用品や持ち出しリストを整備しました。
皆さんも、もしもに備えて、準備をしておくことをお勧めします。
以上、1つ目の失敗点でした。
ブログ始めます
ひねりのないタイトルですが、ブログを始めることにしました。
きっかけは、副業です。
副業を考えるようになったきっかけは、僕自身の環境変化です。
- 子供が生まれて、将来の学費や生活費が必要になること
- 日本がインフレに向かって進んでいること(最近の物価高)
- 会社の給料アップが見込めないこと
収益をあげるためには、Wordpressなど本格的なブログ作成をする必要があることはわかっています。初心者の僕としては、まずブログに慣れることをメインに考え、はてなブログからスタートすることにしました。
今日から1年間、1日1投稿を目標に書いていきます。
ネタがないときは雑記になるかもしれませんが、なにより継続することを大事にしたいです。
ページデザインもカスタマイズしていきたいです(優先度は低いですが)。
こんなページでも見てくれたらうれしいです。
では、また明日。